石狩市立浜益中学校
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石狩市立浜益中学校 | |
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浜益校舎(2024年5月)
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北緯43度34分41秒 東経141度23分16.5秒 / 北緯43.57806度 東経141.387917度座標: 北緯43度34分41秒 東経141度23分16.5秒 / 北緯43.57806度 東経141.387917度 | |
過去の名称 | 浜益村立浜益中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 石狩市 |
併合学校 | 浜益村立浜東中学校 浜益村立実田中学校 浜益村立尻苗中学校 浜益村立濃昼中学校 石狩市立幌中学校 |
設立年月日 | 1947年 |
開校記念日 | 6月5日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
所在地 | 〒061-3107 |
外部リンク | 公式サイト |
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石狩市立浜益中学校(いしかりしりつはまますちゅうがっこう)は、北海道石狩市浜益区に所在する公立中学校。
沿革
1947年に「浜益村立浜益中学校」(生徒106名、3学級)が浜益小学校に併置開校した。2011年8月に閉校した北海道浜益高等学校の校舎に移転した。2023年、浜益小学校と浜益中学校が統合する義務教育学校で使用する予定の[1]校舎の改修増築工事が始まり、浜益中学校は浜益小学校の校舎に移転した[2]。
- 年表
- 1947年(昭和22年)- 浜益村立浜益中学校が開校(浜益小学校併置)、濃昼・尻苗分校を併置[3]。
- 1951年(昭和26年)- 新校舎落成、黄金中学校を統合、中学校5校[注 1]が分校、校章制定[3]。
- 1952年(昭和27年)- 屋内体育館完成[3]、千代志別分校を設置[4]。
- 1954年(昭和29年)- 千代志別・幌・尻苗・濃昼・実田・浜東の各分校が中学校として独立[3]。
- 1959年(昭和34年)- 校歌制定[3]。
- 1960年(昭和35年)- 特別教室(2教室)完成[3]。
- 1966年(昭和41年)- 浜東中学校を統合[3]。
- 1967年(昭和42年)- 火災発生し校舎全焼、黄金小学校校舎を借用[3]。
- 1968年(昭和43年)- 新校舎完成、実田中学校を統合[3]。
- 1981年(昭和56年)- 交通安全教育実践校の指定[3]。
- 1983年(昭和58年)- 尻苗中学校を統合[3]。
- 1992年(平成4年)- コンピュータ室改造工事完了[3]、濃昼中学校を統合[4]。
- 1999年(平成11年)- 幌中学校を統合[3]。
- 2002年(平成14年)- 学校完全週5日制開始、学校評議員制度導入[3]。
- 2005年(平成17年)- 石狩市との合併により石狩市立浜益中学校に改称[3]。
- 2008年(平成20年)- 浜益給食センター廃止、特別支援学級設置、防犯システム運用開始[3]。
- 2011年(平成23年)- 旧浜益高等学校校舎へ移転[3]。
- 2012年(平成24年)- 特別支援学級設置、グラウンド造成工事完了[3]。
- 2013年(平成25年)- 体育館新築工事完了[3]。
- 2021年(令和3年)- GIGAスクール構想により設備再構築、コミュニティ・スクール導入[3]。
- 2023年(令和5年)- 校舎改修増築工事のため浜益小学校の校舎へ移転。
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2011年まで使用されていた川下校舎
教育目標
新たな伝統の創造と生きる力を育む教育の推進[5]。
部活動
- 体育部
- バドミントン部
- 卓球部
通学区域
通学区域は以下の通り[6]。
- 浜益区
出身小学校
脚注
- 注釈
- ^ 幌中学校・尻苗中学校・濃昼中学校・実田中学校・浜東中学校を指す。
- 出典
- ^ (仮称)浜益学園設立準備部会 2024年10月30日 石狩市 2025年2月5日閲覧。
- ^ “浜益小学校・浜益中学校 共同生活に向けて” (PDF). 石狩市. p. 1. 2025年2月5日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 沿革「学校概要」 石狩市立浜益中学校 2025年2月5日閲覧。
- ^ a b “石狩市内小中高等学校校歌集” (PDF). 石狩市郷土研究会. p. 24 (2020年10月). 2025年2月5日閲覧。
- ^ a b c d e 学校教育目標「学校概要」 石狩市立浜益中学校 2025年2月5日閲覧。
- ^ 小中学校の通学区域 2024年4月1日 石狩市 2025年2月5日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 石狩市立浜益中学校のページへのリンク