石井監督作品
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 08:27 UTC 版)
「網走番外地 (東映)」の記事における「石井監督作品」の解説
網走番外地 (1965年4月) 続 網走番外地 (1965年7月) (1965年度興行収入ベスト10 : 6位) 網走番外地 望郷篇 (1965年10月) (1965年度興行収入ベスト10 : 4位) 網走番外地 北海篇 (1965年12月) (1965年度興行収入ベスト10 : 2位) 網走番外地 荒野の対決 (1966年4月) (1966年度興行収入ベスト10 : 9位) 網走番外地 南国の対決 (1966年8月) (1966年度興行収入ベスト10 : 3位) 網走番外地 大雪原の対決 (1966年12月) (1966年度興行収入ベスト10 : 1位) 網走番外地 決斗零下30度 (1967年4月) 網走番外地 悪への挑戦 (1967年8月) 網走番外地 吹雪の斗争 (1967年12月) (高倉健と菅原文太が初共演) ※1965年度 (65年4月〜66年3月)、1966年度(66年4月〜67年3月) 二年半の間にシリーズは10本製作されたが、興収はシリーズ終盤の頃には振るわなくなり人気にも翳りが見え始めていた。「マンネリ上等」を持論としていた岡田茂であったが、1967年末封切りされた『網走番外地 吹雪の斗争』で一旦終了を決めた。ところがより観客に近い東映の館主会から反発を受け、「高倉健と俊藤プロデューサーが組んだ網走番外地を撮って欲しい」という要望が出された。岡田は仕方なく俊藤に頼むと「冗談やない。ひとのやった企画をいまさらやれるかいな」と断わられたが「いや、それは困る。館主会の決定なんや」と押し問答の末、押し切り、俊藤のプロデュースで「新網走番外地」シリーズがその後8本製作された。
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