矢内原勝とは? わかりやすく解説

矢内原勝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/02 23:29 UTC 版)

矢内原 勝
人物情報
生誕 1926年3月13日
日本 東京都大田区大森
死没 (2003-11-27) 2003年11月27日(77歳没)
日本 東京都
出身校 慶應義塾大学 学士 (1950年)
慶應義塾大学 博士 (1966年)
学問
研究分野 国際経済学
研究機関 慶應義塾大学
浜松大学
作新学院大学
指導教員 山本登
称号 慶應義塾大学名誉教授
影響を受けた人物 船田元
大山道広
主な受賞歴 福澤賞(1980年)
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矢内原 勝(やないはら かつ、1926年3月13日 - 2003年11月27日[1][2]は、日本経済学者慶應義塾大学名誉教授。

来歴

矢内原忠雄の三男として1926年に東京都大田区大森に生まれた[1]。哲学者の矢内原伊作は兄。東京府立第一中学校慶應義塾大学経済学部予科を経て[2]1947年慶應義塾大学経済学部に入学[1]山本登に師事。1950年に卒業、副手として開発経済学の研究に着手[1]1952年に助手に、1957年に助教授に、1966年に教授に昇任[1]。1954年から1955年まではロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに、1976年から1978年までパリ第1パンテオン・ソルボンヌ大学に留学した。1991年に慶應義塾大学を定年退官し、名誉教授の称号を授与される[1]。同年、浜松大学国際経済学部教授に就任、その後作新学院大学学長を務めた。2003年に心不全のため逝去[2]

2006年、『アフリカとアジア:開発と貧困削減の展望』(慶応義塾大学出版会)という題目の追悼論文集が発刊された[3]

東京大学経済学部に入る学力はあったが、父の忠雄と東京大学との関係の悪化により慶應義塾大学へ進学。船田元は、矢内原の下で学んだ。敬虔な無教会のクリスチャン。多くの弟子を育てた。国際経済学会、日本アフリカ学会、日本経済政策学会で要職に就いた[2]

著書

単著

  • 『低開発国の輸出と経済開発』(東洋経済新報社、1965年)
  • 『金融的従属と輸出経済(慶應義塾経済学会経済学研究叢書)』(日本評論社、1966年)
  • 『近代化の条件 日本の立場・低開発国の立場(ダイヤモンド社、1970年)
  • 『世界経済 歴史・理論・現状』(文眞堂、1994年)
  • 『国際貿易論』(慶應義塾大学出版会、1994年)

共著

編著

  • 『発展途上国問題を考える』(勁草書房、1996年)

出典

  1. ^ a b c d e f 矢内原勝教授略歴」『三田学会雑誌』第83巻特別号-II、慶應義塾経済学会、1991年、263頁、ISSN 0026-6760NAID 120005354348 
  2. ^ a b c d 高梨和紘「追悼文: 矢内原勝先生のご逝去を悼んで」『アジア研究』第50巻第2号、アジア政経学会、2004年、1-2頁、doi:10.11479/asianstudies.50.2_1ISSN 0044-9237NAID 130004689976 
  3. ^ 高梨和紘『アフリカとアジア : 開発と貧困削減の展望』慶應義塾大学出版会、2006年。 ISBN 4766412427NCID BA76533546全国書誌番号: 21146448https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008175019 

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