相互銀行への転換
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 23:44 UTC 版)
1951年(昭和26年)10月20日は全国の無尽会社が一斉に相互銀行に転換した。しかし弱小とされた当行を始めとする9社はその中に入れず、取り残されることによる対外信用の低下を避けられなかった。同時に大蔵省の態度が厳しくなることで、増資額が発行する株式数しか認められない・営業区域の拡張や営業店の新設も再三再四の要望陳情を繰り返えさなければならない・預金業務が本店しか認められないなど、実務の面からも大きな不利を強いられた。 その後人事刷新によって新卒一括採用を導入することで人材の定着率を向上させるなどの経営改革を行ったことで、1952年(昭和27年)5月30日相互銀行営業免許を交付され、寿殖産無尽株式会社は相互銀行に転換・改称の上高松相互銀行となる。商号については行内募集・一般募集によって清新な名称にする狙いがあったが、適当なものが無かったため、結局本店所在地から「高松」とした。
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