直接対話の再開と中断
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/07 04:59 UTC 版)
「2008年のチベット騒乱」の記事における「直接対話の再開と中断」の解説
その後、北京五輪開催を前にして、米国をはじめとする諸国からの対話のすすめを受けて、2008年4月25日に中国政府はダライ・ラマ14世に直接対話の再開を呼びかけた。 ダライ・ラマ14世は、チベットにおける「高度な自治」「中華人民共和国憲法で保障されている完全な自治」を求めている事を主張したが、チベット亡命政府内の急進独立派であるチベット青年会議が組織したデモの参加者は、チベットの自由解放、独立を求めるスローガンを唱えていたため、中国新華社通信は、チベット独立はもちろん「高度自治」も容認できないとする中国政府の立場を伝えるなど、チベット亡命政府と中国政府との対話は、当初から困難なものとなる事が予想されていた。 5月4日に中共統一戦線部の朱維群副部長が中国側の代表として、チベット亡命政府を代表するロディ・ギャリ(Lodi Gyari)、ケルサン・ギャルツェン(Kelsang Gyaltsen)両特使との会談に臨み、両者の直接対話は7月1日・10月30日と三次にわたって続けられたが、両者の交渉は全く進展せずに終了した。
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