白河天体観測所の開設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 11:01 UTC 版)
「チロ (犬)」の記事における「白河天体観測所の開設」の解説
白河天体観測所開設の話が持ち上がったのは、チロと藤井が出会う前の1967年夏のことであった。その日藤井は、国立科学博物館にあった村山定男の研究室を訪問していた。村山は藤井に、那須高原に格安な土地の出物があったので、かねてから計画していた天文台を建てたいと提案した。天文台の予定地となった土地は、藤井の住む街からも近い場所であり、それは藤井にとっても願ってもないことであった。 この計画に賛同したのは、村山と藤井の他に小山ひさ子、長井保、高橋實の合わせて5名であった。5名は資金を出し合い、350坪の土地を当時の価格にして35万円程度で入手することができた。 天文台の建設についても、安い価格で受注してくれる建設会社が見つかった。設計図が出来上がって工事が始まり、1階部分の鉄筋が組みあがったところで建設会社が倒産した。社長が前渡ししてあった工事代金の一部を持って行方不明となったため、天文台建設は頓挫するかと思われた。 天文台の工事は、落胆する藤井たちの様子に同情した地元の大工が引き継いでくれることになった。ただし、片手間での仕事となるため工事は進捗しなかった。藤井たちも素人ながらコンクリート打ちなどに従事し、計画から2年後の1969年10月、天文台が完成した。
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