白河口副総督
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 14:32 UTC 版)
横山は若年寄に任じられ、白河城防衛のため編成された会津藩部隊の副総督となり、総督西郷頼母を補佐することとなった。1868年6月20日(5月1日)、奥羽越列藩同盟軍は官軍の攻撃の前に敗勢となり、横山は稲荷山に現れた敵を攻撃しようと山を駆け上がったが、被弾のため戦死した。従者が遺体を収めようとしたが、弾丸が集中し、やむなく首級のみを持ち帰ったという。行年22。
※この「白河口副総督」の解説は、「横山常守」の解説の一部です。
「白河口副総督」を含む「横山常守」の記事については、「横山常守」の概要を参照ください。
- 白河口副総督のページへのリンク