畸人十篇
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『畸人十篇』(きじんじっぺん、きじんじゅっぺん、拼音: )は、明代中国のイエズス会宣教師、マテオ・リッチ(利瑪竇)の著作。『天主実義』の姉妹編的な著作[1]。1608年(万暦36年)初刻[2]。
内容
「畸人」(奇人)すなわちマテオ・リッチと[5]、士大夫各人(徐光啓・李之藻・李戴ら)との対話形式で[6][7]、西洋の死生観や来世について論じる[8][9]。全2巻10篇[10]。
「畸人」という語は『荘子』大宗師篇に由来する[11]。「奇妙な外国人」[12]と同時に「『荘子』のように死生観を語る人」を含意する[11]。
聖書・アウグスティヌス・中国古典・イソップ寓話(狐と獅子など)を引用している[13]。『天主実義』と重複する内容もある[14]。
序跋が李之藻・周炳謨・王家植らに著されている[15]。本書の附録に『西琴曲意』がある[16][17]。
成立・影響
1608年(万暦36年)初刻[2]。リッチの長年の対話録として作られた[18][7]。リッチの『報告書』では『パラドックス集』(イタリア語: Paradossi)と呼ばれ、本書の影響で改宗した中国人もいたと報告されている[19]。
度々重刻され、『天学初函』にも収録された[15]。『四庫提要』には存目として載っている[20]。 典礼論争による禁教を挟んで、清末の1847年(道光27年)に再び重刻された[21]。
李氏朝鮮でも読まれた[22]。日本では、キリシタンの禁書に指定されながらも荻生徂徠や水野軍記に読まれた[23][24]。
平田篤胤は『畸人十篇』や『天主実義』、アレーニ『三山論学記』、パントーハ『七克』などを読み、1806年(文化3年)これらを神道的に翻案した『本教外篇』を著した[3][25][26]。
日本語訳
- 柴田篤「『畸人十篇』の研究 : 第一篇・第二篇訳注」『哲學年報』第68号、九州大学大学院人文科学研究院、2009年。 NAID 120001164487。
- 柴田篤「『畸人十篇』の研究(二) : 第三篇・第四篇訳注稿」『哲學年報』第71号、九州大学大学院人文科学研究院、2012年。 NAID 40019237628。
参考文献
- 石井道子「シュタインヘーヴェル版イソップ寓話集の利瑪竇『畸人十篇』に与えた影響」『環日本海研究年報』第27号、新潟大学現代社会文化研究科環日本海研究室、2022年。 CRID 1050291768768626432
- 後藤基巳『天主実義』明徳出版社〈中国古典新書〉、1971年。 ISBN 978-4896192520。
- 柴田篤「『畸人十篇』研究序説」『哲學年報』第65号、九州大学大学院人文科学研究院、2006年。 NAID 110006263667。
- 柴田篤 著「明末天主教と死生観――中西対話の底に流るるもの」、川原秀城 編『西学東漸と東アジア』岩波書店、2015a年。 ISBN 978-4000610186。
- 柴田篤「『天学初函大意書』における『畸人十篇』」『哲學年報』第74号、九州大学大学院人文科学研究院、2015b年。 NAID 120005613543。
- 平川祐弘『マッテオ・リッチ伝 2』平凡社〈東洋文庫〉、1997年。 ISBN 978-4582806243。
脚注
- ^ 柴田 2006, p. 35.
- ^ a b 柴田 2009, p. 157.
- ^ a b 柴田 2006, p. 36.
- ^ 平川 1997, p. 239.
- ^ 平川 1997, p. 244ff.
- ^ 柴田 2006, p. 38-40.
- ^ a b 後藤 1971, p. 19-22.
- ^ 柴田 2006, p. 41f.
- ^ 柴田 2015a, p. 116.
- ^ 柴田 2006, p. 38.
- ^ a b 柴田 2006, p. 42f.
- ^ 平川 1997, p. 244f.
- ^ 石井 2022, p. 24.
- ^ 柴田 2006, p. 44.
- ^ a b 柴田 2006, p. 45-49.
- ^ 柴田 2006, p. 48.
- ^ 平川 1997, p. 263.
- ^ 柴田 2006, p. 38-40;44.
- ^ 平川 1997, p. 240-242.
- ^ 柴田 2006, p. 52f.
- ^ 柴田 2006, p. 49.
- ^ 柴田 2006, p. 53.
- ^ 柴田 2006, p. 55f.
- ^ 柴田 2015b.
- ^ 平川 1997, p. 265f;276.
- ^ 野口武彦、平凡社、改訂新版 世界大百科事典『本教外篇』 - コトバンク
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