現代アメリカの研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 23:08 UTC 版)
アメリカでクラウゼヴィッツが研究されるようになるのはジョミニの後であり、翻訳が出版されるのは第二次世界大戦中の1943年であった。 アメリカでは伝統的に自由主義の政治イデオロギーに基づいてクラウゼヴィッツ的な戦争理論ではなく規範的な観点から戦争が論じられてきており、クラウゼヴィッツは評価されていなかった。したがって、戦争が政治の延長線上にあることを認めておらず、戦争の唯一の基準は敵の殲滅であると考えられていた。マッカーサー元帥は戦時と平時の区分を明確にした上で戦時においては政治家から軍人に全面的に責任が移行すると考えていた。 しかし朝鮮戦争やベトナム戦争でアメリカは政策と戦略の調整という問題に直面する。そこで米国国防大学が中心となって1970年代からクラウゼヴィッツ研究が本格化することになった。この研究はマイケル・ハワードとピーター・パレットによる1976年の『戦争論』の翻訳が出版されることで促される。サマーズ大佐は1982年に『戦略論』でクラウゼヴィッツの軍事理論を受容する研究を発表し、またマイケル・ハンデルの1986年の『クラウゼヴィッツと現代戦略』によってアメリカでのクラウゼヴィッツ研究が活発となった。
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