王・王妃の姿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/12 09:04 UTC 版)
中国北魏からエフタルに使節として旅行し、北魏孝明帝の神亀2年(519年)10月上旬にエフタル国に入国し、その後、国王に会見した宋雲がまとめた記録『宋雲行紀』の第2章には、エフタル王やエフタル王妃の姿を、次のとおり記す。 「(エフタル)王は40歩四方の大きな毛織のテントに居り、まわりはフェルトを壁面として張りめぐらしている。王は錦衣をつけ、4つの金の鳳凰をかたどった(牀)脚をつけた金の椅子に座っていた。(王は)大魏の使人に会うと、再拝し跪いて詔書を受け取った。(宴)会を開くにあたっては、1人が唱えればすなわち宴会が開かれ、のちに唱えればすなわち宴会は終わる。ただこのやり方が行われるだけで、音楽は見られない。エフタル国の王妃もまた長さ8尺余りの錦衣をつけ、3尺も地に垂らし、従者に捧げ持たせている。頭には一角で長さ3尺の頭帯をつけ、赤色珠、五色珠でその上を装飾している。王妃が外出するには輿を用い、室内に入れば黄金製の椅子に座っている。その椅子には六牙の白象と4匹の獅子がかたどられている。その他の大臣の妻はみな(お付きとして)随っている。(王妃の椅子の)傘の頭にも角のようなものをつけ、まんまるく垂れ下がっていて、その形状は宝蓋のようである。(人々の)貴賤を見るには、また(各々異なった)服章がある。」
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