猪の増加
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 21:45 UTC 版)
延享3年(1746年)ごろから猪による獣害が目立ってきていたが、寛延2年になると異常増殖した猪に田畑を食い荒らされた。この年は夏の間も寒冷な気候が続き暖かな日和は稀であった。そのため畑作では粟や稗の収穫減が予測されていた。 延享4年(1747年)5月には、猪捕獲数として「二疋」「四十疋」などの数が記録され、同年6月27日の記事には藩目付を総司令官として、代官や足軽などの役人や人足500人を動員する猪退治計画が記されている。 寛延2年の年に猪による獣害はピークに達し、作物を食い荒らされ、山間の畑がちの村を中心に壊滅的な被害が出るようになった。
※この「猪の増加」の解説は、「猪飢饉」の解説の一部です。
「猪の増加」を含む「猪飢饉」の記事については、「猪飢饉」の概要を参照ください。
- 猪の増加のページへのリンク