狩勝トンネル争議
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 23:42 UTC 版)
狩勝トンネルを巡る一連の労働争議は、1947年(昭和22年)に結成されたばかりの労働組合が、換気の悪い同トンネルの改築と、手ぬぐいの支給を経営当局に申請したことに端を発し、次いで同トンネルの手当増額要求が出されている。しかし、労使双方が慣れない中での交渉は難航し、事態は悪化、1949年(昭和24年)には職場放棄者が続出し、新得駅を通過する列車の運休や遅延が発生するに至った。 やがて警察が介入し、数十人にも及ぶ逮捕者が出たことから、組合員が抗議の自殺を図るなど泥沼化。1951年(昭和26年)には、まりも号脱線事件が発生し、争議と事件の関連性を疑う警察により、多くの組合員が拘束されて事情聴取を受けるなどの事態も発生。結果的に労働争議は多くの者に遺恨を残したまま、1966年(昭和41年)にこのトンネルが廃止されるまで尾を引くこととなった。
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