焼身自殺の波紋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 15:21 UTC 版)
全の焼身自殺をきっかけに、労働者の悲惨な実態が報道されるようになったことで、朴正煕政権下における経済成長の負の側面が明らかとなり、停滞を余儀なくされていた労働運動が活発となった。また、学生や知識人の目を労働問題に向けさせ、1970年代~80年代の民主化運動における労働者と学生及び知識人の連帯を生み出すことにも貢献した。以後、問題意識を持つ多くの大学生達が経歴を偽って工場に入って仕事をしつつ、労働運動を組織する「意識化」作業を展開し、労働運動の発展に貢献するようになった。 現在でも、民主労総などでは全を「烈士」と呼び、彼の行いを「全泰壱精神」として、労働運動家の象徴としている。また、デモ行進を行う際にも、後述の全泰壱通りが度々目的地として設定される。
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