災害を大きくした原因
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 07:45 UTC 版)
1902年5月8日のプレー山の噴火そのものは特筆するような大規模なものではなく、たまたまサン・ピエールの町が熱雲の通り道にあった事が大災害の直接の原因であった。しかし一方で人災の面も指摘される。5月に実施予定の選挙のため、市民が市から退避するのを防ごうと、市の首脳部はプレー山の活動を過小評価し、あるいは無視して、差し迫った危険を市民に知らせなかった。災害の直前には市長は市に戻って安全を強調すると共に、軍隊により住民の退去を強制的に阻止した。地元のリセの教授である科学者は「サン・ピエールにはプレー山による危険はない」と断言し、現地の新聞レ・コロニーはそれに基づいた記事を噴火前日に掲載した。島の地形がサン・ピエール市を災害から守るようになっていると信じて郊外から市内に移った人々もいた(実際、火砕流の本体は谷に沿って流れ、サン・ピエールを外れている)。
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