瀕死の西三条の女御を治す―最初の霊験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 10:05 UTC 版)
「相応 (僧)」の記事における「瀕死の西三条の女御を治す―最初の霊験」の解説
天安2年(858年)、右大臣・藤原良相の娘・多美子(のちに清和天皇の女御となる。西三条女御)が重病で瀕死の状態に陥った。良相はしきりに書状を送り相応の助けを求めたが、相応は天台宗で定められた得度後12ヶ年の篭山修行に入ってまだ4年目であり、本来、山門を出てはならない身の上であった。しかし、師・円仁は、良相が自分の身代わりに相応を得度させたのは、相応の祈念の力を頼るためであり、この急難に当って、良相の要請を断り篭山の誓いを守るのは、知恩の旨に背き、利生の意を違えるものであると諭し、速やかに良相邸に行くよう命じた。
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