瀕死の重傷と克服
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/07 18:36 UTC 版)
しかし同年1月13日のサンパスカルハンデキャップの競走後、ユアホストは痛みを訴えてターフ上で暴れだし、場内を騒然とさせた。ユアホストは右前脚の尺骨が4箇所で折れており、さらに右肩も粉砕されていた。誰しもが予後不良で処分されてしまうのだろうと予想し、ウィリアム・ゲーツもそれを考慮したが、ユアホスト自身がそれを拒絶したという。 ゲーツはこれに際して、25万ドルの保険金を掛けていたロンドンの保険市場ロイズに支払いを求め、ロイズもこれに応じた。この資金は、ユアホストの命を繋ぎ止めるのに大いに役立てられた。 ユアホストはジョン・ウォーカー医師のもとに送られ、そこで治療に専念することになった。幸いにも、ユアホストは脚を固定されても暴れず、また強い精神力を保持し続けたこともあって大事に至らなかった。そして競走能力こそ回復できなかったものの一命を取りとめ、無事に種牡馬入りを果たした。
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