濃尾地方のキリシタン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 14:31 UTC 版)
永禄9年(1566年)からキリスト教の布教が始まった濃尾地方では、織田信長や織田信忠らの保護を受け、ルイス・フロイス、フランシスコ・カブラル、ガスパル・ヴィレラ、ニェッキ・ソルディ・オルガンティノといった宣教師によってさらに布教が進められた。本能寺の変の後は織田信雄の庇護を受けたが信雄は天正18年(1590年)に豊臣秀吉に追放される。 文禄3年(1594年)、岐阜の織田秀信が3人の家臣とともにオルガンティノから受洗され、城下に教会堂、病院、孤児院を建てて教化を進めたため、領内に多くのキリシタンが生まれた。しかし、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍方だった秀信は捕らえられ、高野山に送られた。
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