潮入池泉庭園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/09/06 03:45 UTC 版)
「江戸小路 (柳川市)」の記事における「潮入池泉庭園」の解説
柳川は、柳川城の堀割が外堀の内と外に網の目のように張り巡らされていることから「水郷」と呼ばれているが、この堀割の水を引いて池としたり、堀割の流れそのものを池と見なしたりする庭園が、かつては外堀の内外に多数存在した。特に江戸小路には、このような堀割と一体となる水系をなす池泉を持つ庭園が現在も数軒残っており、『柳川百選』にも選ばれている。国の名勝に指定されている旧戸島邸は、その代表的なものである。柳川の堀割は、有明海の干満の影響を受ける感潮堀(海水が水門から遡上することはない。)のため、堀の水を引いた池は、全て水位が変化する潮入(汐入)の庭となっている。江戸時代には、江戸下町、特に諸大名の下屋敷で潮入の庭が流行していたことから、江戸小路に住んだ江戸定府帰りが好んでこのような庭を作ったと見られている。 しかし、近年、上流のダム建設による堀割の水量減少、水質汚濁、所有者の高齢化で手入れが行き届かない等の原因により、庭園の規模が縮小したり、庭園そのものが消失したりしてきている。
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潮入池泉庭園
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柳川は、柳川城の堀割が外堀の内と外に網の目のように張り巡らされていることから「水郷」と呼ばれているが、この堀割の水を引いて池としたり、堀割の流れそのものを池と見なしたりする庭園が、かつては外堀の内外に多数存在した。鬼童小路には、隣接する江戸小路とともに、このような堀割と一体となる水系をなす池泉を持つ庭園が現在も数軒残っており、『柳川百選』にも選ばれている。 しかし、近年、上流のダム建設による堀割の水量減少、水質汚濁、所有者の高齢化で手入れが行き届かない等の原因により、庭園の規模が縮小したり、庭園そのものが消失したりしてきている。
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