漕艇部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 01:17 UTC 版)
昭和28年発足、天竜川平岡ダムのダム湖を利用し活動。昭和60年平岡ダムの土砂堆積により河床が上昇し流れが急峻となったことでボートに不向きとなり廃部となる。交通や施設のハンデを克服して地域や同窓生の期待を集めていたが自然の力に勝てずに廃部となる。昭和30年には諏訪湖で諏訪清稜、岡谷南高とともに3校対抗レースが行われた。約30年の歴史の中で県代表インターハイ23回、国体10回、中日レガッタでの優勝などがある。最高位国体5位入賞の記録がある。現在、校内に1艇「りゅうな」が保存されている。漕艇部廃部と同時期に川田新グラウンドが完成した。川田グランドは主に硬式野球部が活動の拠点としている。
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