演出家・監督時代
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1995年、金子伸吾の紹介で『十二戦支 爆烈エトレンジャー』第27話Aパートの絵コンテを担当する。1996年に『るろうに剣心』の絵コンテを遡玉洩穂名義で担当する。どちらも東映外での仕事だったが、当時の細田は、アニメーターとしての専属契約をしていたので例外的に認められた。同年、東映社内で、演出採用試験が初めて実施され、これに合格。1997年の『ゲゲゲの鬼太郎』(第4期)で演出家として本格的にデビューした。また同年、父親が急病で亡くなる。 1999年には『劇場版デジモンアドベンチャー』の監督に抜擢される。続けてテレビシリーズ『デジモンアドベンチャー』の第21話を演出。2000年には『劇場版デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』を監督して、そのクオリティの高さから業界の内外より注目を集めた。この頃、演出家として影響を受けた人物として、山内重保、幾原邦彦、古橋一浩らの名を挙げている。
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