源師光 (村上源氏)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 源師光 (村上源氏)の意味・解説 

源師光 (村上源氏)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/22 11:06 UTC 版)

 
源師光
時代 平安時代後期 - 鎌倉時代初期
生誕 天承元年(1131年)頃
死没 元久元年(1204年)頃
改名 師光→生蓮(法名)
別名 小野宮侍従
官位 正五位下右京権大夫
主君 六条天皇高倉天皇
氏族 村上源氏
父母 父:源師頼、母:藤原能実の娘
兄弟 師能、師教、師光、証遍、師綱、証禅、藤原重通室、藤原光隆室、源基平
後白河院安芸(巨勢宗成の娘)
泰光具親後鳥羽院宮内卿、尋恵、澄覚
テンプレートを表示

源 師光(みなもと の もろみつ)は、平安時代後期の貴族歌人村上源氏大納言源師頼の子。官位正五位下右京権大夫。歌人として名高い後鳥羽院宮内卿の父である。

経歴

父・師頼は大納言まで進み、師光自身も左大臣藤原頼長の猶子となるものの、官途的には不遇で官位は正五位下・右京権大夫に留まる。侍従を務め、小野宮侍従とも呼ばれた[1]。50歳頃出家して生蓮と号した。

人物

和歌に優れるが、九条兼実には「和歌の外他芸無し」と評されている[2]

勅撰歌人として『千載和歌集』(6首)以下の勅撰和歌集に26首が採録されている[3]。家集に『師光集』がある。また、私撰集『花月集』があったとされるが、散逸して現存しない。

系譜

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 今鏡』村上の源氏 第七 うたたね
  2. ^ 玉葉
  3. ^ 『勅撰作者部類』
  4. ^ 建長元年(1249年)に83歳で出家している。

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  源師光 (村上源氏)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「源師光 (村上源氏)」の関連用語

源師光 (村上源氏)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



源師光 (村上源氏)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの源師光 (村上源氏) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS