湯島一〜六丁目の町域変遷
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「文京区の町名」の記事における「湯島一〜六丁目の町域変遷」の解説
「湯島」の町名は江戸期から存在したが、時期によって町域や「丁目」の数に変動がある。幕末期には湯島一・三・四・五・六丁目があり、二丁目は欠番であった。湯島聖堂の東方に一丁目があり、以下、東から西へ順に三・四・五・六丁目があった。これらの町域は現行の湯島一丁目と本郷三丁目(南部)にあたる。 明治3年(1870年)、湯島三丁目が同四丁目に編入。これにより「湯島」は二丁目と三丁目が欠番となった。明治19年(1886年)、本郷区と神田区の境界が変更され、神田区宮本町の一部が本郷区に編入。当該編入区域が新しい湯島二丁目および三丁目となった。このとき成立した湯島二丁目は湯島聖堂の所在地で、東京教育博物館(国立科学博物館の前身)があった。三丁目は昌平坂学問所の跡地で、東京師範学校(東京教育大学、筑波大学の前身)および東京女子師範学校(お茶の水女子大学の前身)があった。現在の東京医科歯科大学および同大学附属病院の敷地にあたる。 昭和9年(1934年)、湯島五丁目の全部と湯島六丁目の一部を湯島二丁目に編入。これにより湯島一〜六丁目のうちの五丁目は欠番となった。この時五丁目から二丁目に変更された区域は現行の本郷三丁目南部にあたり、順天堂大学および順天堂医院の所在地である。昭和40年(1965年)、住居表示実施に伴い、従前の湯島一〜四丁目に周辺の町域を加えた広範な区域を新たな湯島一〜四丁目とした。
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