温泉銘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/26 08:02 UTC 版)
貞観22年(648年)、太宗51歳の書。1908年、ポール・ペリオによって敦煌石窟から搬出された残欠の拓本で、前半を欠くが見事な行書である。温泉とは長安に近い臨潼県の驪山(りざん)温泉のことで、その霊効や風物を叙した文になっている。太宗はしばしばここに行幸し、のちに玄宗が楊貴妃とともに遊楽に耽った場所としても有名である。 文中、自身を朕と称していることや、「世」・「民」などの太宗の諱が避諱欠画されていないことなどから、太宗の自作自筆とされている。碑額は散隷(さんれい、隷書風の飛白体)で「貞観」の2字が書かれ、離宮の南門にあたる昭陽門内に碑楼を造って安置されたと推測される。碑は早く失われ、この拓本の発見によって初めて世に出た。文字は奔放にして気骨があり絶品である。またこの拓本は巻子本で48行あり、末尾に「永徽四年八月三十一日圉谷府果毅……」という墨書がある。所有者が、永徽4年(653年)、つまり建碑してから僅か5年のうちに拓したもので、磨滅は全くない。
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