温泉寺 (神戸市)とは? わかりやすく解説

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温泉寺 (神戸市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/18 09:30 UTC 版)

温泉寺

本堂
所在地 兵庫県神戸市北区有馬町1643
位置 北緯34度47分44.89秒 東経135度14分53.47秒 / 北緯34.7958028度 東経135.2481861度 / 34.7958028; 135.2481861座標: 北緯34度47分44.89秒 東経135度14分53.47秒 / 北緯34.7958028度 東経135.2481861度 / 34.7958028; 135.2481861
山号 有馬山
宗派 黄檗宗
本尊 薬師如来
創建年 伝・神亀元年(724年
開山 伝・行基
中興 仁西上人
正式名 有馬山温泉禅寺
札所等 有馬郡西国観音霊場第3番
文化財 木造波夷羅大将立像、黒漆厨子(重要文化財
温泉寺石造五輪塔 2基、木造毘沙門天立像(市指定有形文化財
法人番号 6140005000620
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御祖師庵
鐘楼

温泉寺(おんせんじ)は、兵庫県神戸市北区有馬町にある黄檗宗寺院山号は有馬山。本尊薬師如来。宗派はもとは真言宗であった。正式名は有馬山温泉禅寺

歴史

縁起によれば、神亀元年(724年)、薬師如来に衰退しかかっていた有馬温泉を復興するように言われた行基によって、有馬温泉郷の傍、六甲山系愛宕山の中腹に薬師如来を本尊として開かれたとされる。

承徳元年(1097年)に有馬を襲った洪水によって温泉寺も壊滅するが、熊野権現のお告げによって有馬温泉を復興した仁西上人によって建久2年(1191年)に再興される。また、温泉寺の下に12の僧坊・宿坊が設けられたが、これは薬師如来の眷属である十二神将に因んでいるとされる。

天正4年(1576年)に火災で全山焼失したが直ちに再建された。その後再び火災にあい、天正18年(1590年)に北政所によって薬師堂が再建されている。江戸時代に焼失すると天明元年(1781年)に現在ある薬師堂が再建された。

しかし明治時代初めの廃仏毀釈で、天正18年(1590年)に豊臣秀吉が有馬大茶会を開催したとされる阿弥陀堂も含め、真言宗温泉寺は廃寺とされ、薬師堂以外の堂塔は全て取り壊されてしまった。その後、廃寺となった旧温泉寺の奥の院であった黄檗宗清涼院が寺籍を継いで現代に至っている。

境内

文化財

重要文化財

  • 木造波夷羅大将(ばいらたいしょう)立像 - 鎌倉時代から室町時代の作。波夷羅大将は薬師如来を守護する十二神将のひとつ。
  • 黒漆厨子

神戸市指定有形文化財

その他

前後の札所

有馬郡西国観音霊場
2 念仏寺 - 3 温泉寺 - 4 善福寺

行事

  • 1月2日 - 入初式
  • 11月14日 - 御祖師祭(みそしまつり)

所在地・アクセス

〒651-1401 兵庫県神戸市北区有馬町1643

脚注

  1. ^ 新兵庫史を歩く 湯のまちの伝説をたどる”. NHK神戸放送局. 2019年11月25日閲覧。

関連項目

外部リンク




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