渡鹿野島について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/30 14:55 UTC 版)
会談場所となった渡鹿野島は当時、遊廓の島として有名で、この島に行くということは、通常女性を買いに行くことを意味した。なぜこのような場所で会談が行われたのかは謎だが、参加者の一人、上田音市は『部落解放』1997年5月号のインタビューで、戦前よりこの島を潜伏や慰安目的で訪れ、なじみの島だったことを明らかにしている(当時の日本では買春は違法ではなく、『女性を買う』行為に対する意識は現代と異なる)。 その後、2008年、渡鹿野島における公認買売春の実態を論述した研究書が、地元行政と部落解放同盟本部の委員長の画策で回収絶版に追い込まれる事件が発生。2009年には、寺園敦史が『週刊金曜日』でこの事件をレポートしている(『週刊金曜日』2009年3月20日号「渡鹿野島 買売春の実態を隠蔽──行政と人権団体が出版妨害」)。
※この「渡鹿野島について」の解説は、「志摩会談」の解説の一部です。
「渡鹿野島について」を含む「志摩会談」の記事については、「志摩会談」の概要を参照ください。
- 渡鹿野島についてのページへのリンク