清軍の侵攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 08:27 UTC 版)
ある時ミャンマー北東部のチャイントンに住んでいた清国人とミャンマー人が酒によって喧嘩騒ぎを起こし、清国人が殺される事件が起きた。清国人を殺したミャンマー人は、ミャンマー当局が処刑したが、雲南省の知事は犯人の引き渡しを要求してきた。これをチャイントンに対して清国の宗主権を認めさせようと要求とみなしたミャンマー側は要求を拒否した。そこで清国軍はそれを口実にし、1765年に大軍をチャイントンに侵攻させた。だがチャイントンの土侯は雲南の派遣軍を追い払い、遅れてやってきたシンビューシン王の軍隊とともに、敗走する清軍をメコン川まで追撃し、敵の将軍を打ち取った。こうして一回目の侵攻は清軍の敗北に終わった。
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