清軍:順治帝の即位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 06:29 UTC 版)
清では1643年にホンタイジが急死し、後継者をめぐって3派に分かれて対立した。ホンタイジの長子であるホーゲ派、ホンタイジの正夫人の子であるフリン(福臨)派、そしてヌルハチの第14子であるドルゴン派に分かれた。ドルゴンはホーゲと対立していたが、ホーゲ派とフリン派の双方と争うことを避けて、みずからは皇帝となる意思を示さなかった。こうして同年8月に6歳のフリンが皇帝に即位して順治帝となり、ドルゴンとジルガランはフリンの摂政となった。ドルゴンはフリン派と協力してホーゲ派に打撃を与え、続いてフリン派の一部を味方につけて反対勢力を排除し、権力を確かなものとして摂政王となる。フリンの母であるボルジギト氏(孝荘文皇后)も宮廷を掌握してドルゴンらに協力した。1644年3月6日、ドルゴンは李自成に使者を送った。提案の内容は、中原を占領する明に対して連合して攻撃し、順と清で明の領土を分割するというものだった。
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