深部防空壕とは? わかりやすく解説

深部防空壕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/04/11 15:10 UTC 版)

グージ・ストリート駅」の記事における「深部防空壕」の解説

グージ・ストリート駅は、第二次世界大戦当時ロンドン深部防空壕(英語版)(London deep-level shelters)が設けられていた8つ地下鉄駅のひとつである。1943年後半から終戦まで、グージ・ストリート駅防空壕は、連合国遠征軍最高司令部Supreme Headquarters Allied Expeditionary ForceSHAEF) によって使用された。1944年6月6日に、連合国欧州遠征軍総司令官アイゼンハワー将軍によるノルマンディー上陸作戦指令放送送信されたのは、ここからであった。この防空壕には出入り口がふたつあり、ひとつはチェニーズ・ストリートに面しており、もうひとつはトテナム・コート・ロードに面した The American Church in London の隣にある。 進行作戦準備において、グージ・ストリート駅アメリカ陸軍通信部隊が設置した通信施設としてだけ使用された。これはロンドン市内や周辺設置され多数通信施設群のひとつに過ぎなかった。ほかにも、SHAEF司令部置かれていたグロスヴナー・スクエア (Grosvenor Square) 20番地や、オックスフォード・ストリートのセルフリッジ百貨店地下などに同様の施設があった。この2施設はいずれ建物現存している。さらに、アイゼンハワー将軍は、グージ・ストリート駅施設から放送行ったわけではなくラジオ放送行ったわけでもないアイゼンハワー将軍は、まず暗号電報ルーズベルト大統領送り次いでチャーチル首相電話をかけた。将軍による侵攻作戦実行決断は、ポーツマス近郊のサヴィック・ハウス(英語版)(Southwick House) に置かれ侵攻作戦本部下された戦後、この防空壕は、宿泊施設として使用され最大8000人の兵員収容された。

※この「深部防空壕」の解説は、「グージ・ストリート駅」の解説の一部です。
「深部防空壕」を含む「グージ・ストリート駅」の記事については、「グージ・ストリート駅」の概要を参照ください。

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