活動及び解体
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/12/13 08:13 UTC 版)
朝鮮文学家同盟は朴鍾和中心の中央文化協会と明確に対立し文壇を左右翼に分断させた。1946年7月に創刊した機関紙『文学』を8号まで刊行し、朝鮮文学賞を新設し施行した。発行人代表は李泰俊であった。 だが、軍政期の左翼系列弾圧のため、出帆後すぐ活動が制限された。『文学』3号は没収され、5,6号は制限された部数でのみ発行された。1946年11月、第2回文学家同盟会議が予定されていたが、予定通りに開くことができず無期限延期となった。このとき中央執行部委員長として李秉岐を選出し、大衆化運動を行い始めた。 1947年からは弾圧が強化され主要人物達がソ軍政地域に続々と脱出し、活動が大きく萎縮した。第1共和国樹立によって分断が確定した後は事実上瓦解した。朝鮮文学家同盟に参与した文人達は大部分朝鮮民主主義人民共和国へ行き、残った者は国民保導連盟に加盟した。
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