法を整備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/07 06:13 UTC 版)
359年7月、鄧羌は御史中丞に任じられた。彼は剛直にして不屈であったため、王猛と志を同じくして綱紀粛正に取り掛かった。瞬く間に貴族や役人の不正を洗い出し、処刑または免職された者は二十人を超えた。これによって百官は恐れおののき、悪人は息を潜めた。また、道端に落ちている物を拾わなくなるなど、風紀は引き締められた。これを見た苻堅は「私は今初めて知った。天下に法が有るということを。天子が尊なる存在であることを」と感嘆した。その後、鄧羌は尚書に昇進した。
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