沖縄県出身初のプロ野球選手
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 02:46 UTC 版)
「広島東洋カープ」の記事における「沖縄県出身初のプロ野球選手」の解説
1964年入団の安仁屋宗八は、当時アメリカの占領下にあった沖縄県出身で沖縄高校(現、沖縄尚学高校)、琉球煙草を経てカープに入団、沖縄県初のプロ野球選手となった。その年は3勝しか上げられなかったが、その後入団する外木場義郎とともにカープを代表するエース投手として活躍し、通算119勝124敗の成績を残した。1975年に阪神タイガースに移籍したため、カープのチーム初優勝は敵チームとして見守る形となったが、1980年に復帰し、チーム初の連覇・日本一連覇のメンバーとなった。2005年には投手コーチとして復帰、白い顎髭をたくわえたサンタクロースのような風貌に加え、チームのユニフォームカラーが赤と白だったので「安仁屋サンタ」とも呼ばれて注目が集まった。厳しい走り込み、投げ込みを欠かさない、などの「安仁屋流」を確立するも投手王国復活はならず、その年限りで退団となった。
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