沖秋目島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 02:50 UTC 版)
秋目港から約4キロメートル沖合、野間岬から8キロメートルにある無人島である。面積は約0.39平方キロメートル、周囲は約4キロメートルである。第二次世界大戦終戦前までは3世帯が居住しており、半農半漁の生活を営んでいたが、1950年(昭和25年)頃に無人島となった。沖秋目島にはビロウが自生しており、枇榔島(蒲葵島)とも呼ばれる。 江戸時代後期に薩摩藩が編纂した地誌である『三国名勝図会』では沖秋目島(三国名勝図会では「蒲葵島」とされている)の由来と島内にある戸柱大明神について以下のように記述されている。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}秋目村に属す、周廻凡そ一里、蒲葵樹甚多し、故に名を得たり、往古は此島を秋目島といふ、又島の邊群魚の聚る所にて、漁釣に利ありといふ、此島に戸柱大明神祠あり、祭神素蓋鳴尊、稲田姫命、祭祀六月十五日、此島の海に暗礁あり、昔時唐土の舟船、其暗礁に触れて危殆なりしが、舟人戸柱神に禱りしに、神力を以て其難を免れ、長崎に至り、鎮台に状啓す、鎮台是を本藩(※薩摩藩のこと)に告ぐ、此後官より祭米を給与せられるといふ、其事棟札に記せり、 —三国名勝図会巻之二十七 秋目の南西に浮かぶ沖秋目島 三国名勝図会に掲載されている沖秋目島(蒲葵島)の挿絵
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