江戸幕府開府まで
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天正7年(1579年)4月に徳川秀忠が生まれると、7歳にして安藤重信や青山忠成と共に秀忠の傅役を命じられた。役料は200俵であった。豊臣政権下での家康の関東転封後の天正19年(1591年)、相模国に領地1,000石を得る。慶長5年(1600年)9月の関ヶ原の戦いの際には、利勝は秀忠に従って別働隊となり、江戸から中山道を通って西へ向かった。しかし信濃上田城の真田昌幸を攻めあぐみ、関ヶ原の決戦にはついに間に合わなかったものの、戦後に500石を加増されている。 慶長6年(1601年)に徒頭に任じられ、慶長7年(1602年)12月28日に1万石を領して諸侯に列し、下総国小見川藩主となった。
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