求心力低下とデモの終結
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/14 14:58 UTC 版)
「周永康 (香港)」の記事における「求心力低下とデモの終結」の解説
香港政府との会談決裂や北京行きの失敗など、デモの長期化や政府から譲歩を引き出せなかったことから、周ら穏健派は次第に求心力を失いデモを制御できなくなっていった。 11月18日には香港警察による占拠地域のバリケードの強制撤去が始まり、翌19日には金鐘を占拠していた急進派が立法会ビルを占拠しようとし警官隊と衝突し逮捕者が出ている。11月30日、周は求心力を維持するため急進派と同調し香港政府庁舎の占拠を試みるが、警官隊との衝突により失敗し多数の逮捕者・負傷者を出してしまう。 12月3日、香港政府庁舎前での混乱を受け、デモ主催者の戴・陳・朱は警察に自首し、デモの撤収を呼びかけた。戴らの自首を受け、周はデモの撤収を含めた今後の対応を協議する。12月11日までの間に警察の強制撤去により周を含めた249人の参加者が逮捕されるが、翌12日に周は保釈命令に基づき釈放された。12月15日に香港政府はデモの終結を宣言し、中環占拠は失敗に終わった。
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