永源寺 (中央市)とは? わかりやすく解説

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永源寺 (中央市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 14:34 UTC 版)

永源寺
所在地 山梨県中央市下河東880
位置 北緯35度36分2.1秒 東経138度32分24.7秒 / 北緯35.600583度 東経138.540194度 / 35.600583; 138.540194座標: 北緯35度36分2.1秒 東経138度32分24.7秒 / 北緯35.600583度 東経138.540194度 / 35.600583; 138.540194
山号 豊田山
宗派 曹洞宗
本尊 聖観世音菩薩
創建年 奈良時代または平安時代
開基 加藤梵玄?
札所等 甲斐百八霊場第50番礼所、甲斐八十八ヶ所霊場第86番札所、甲斐国三十三番観音霊場第2番札所
文化財 木造聖観音立像(重要文化財)
永源寺
永源寺 (山梨県)
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永源寺(えいげんじ)は、山梨県中央市にある曹洞宗寺院

歴史

奈良時代または平安時代開山された。当寺に所蔵されている位牌によれば、開基は「天徳元年(957年)没の河東(加藤)梵玄」ということになっているが、梵玄は室町時代の人物であり、開山年代とは大幅なズレが生じている[1][2]

当初は華厳宗の寺院であったが、後に真言宗に、慶長年間(1596年 - 1615年)に曹洞宗に転宗している。観音堂にある「木造聖観音立像」は国の重要文化財に指定されており、平安時代の作風といわれている[2]

廃寺「明暗寺」

当寺から約1キロメートルには、かつて「明暗寺(みょうあんじ)」と称する普化宗の寺院があった。普化宗は尺八を吹く虚無僧の所属宗派であったが、明治初期に明治政府によって廃宗処分を受けた。これに伴い明暗寺も廃寺となった。廃寺の際に寺宝などが当寺に移管された。本尊だった普化宗宗祖普化の坐像は全国唯一ものである[1][2]

毎年4月29日の「中央市れんげまつり」では、明暗寺にちなんだ虚無僧行列が執り行われている[2]

文化財

  • 木造聖観音立像(重要文化財 明治39年9月6日指定)[3]

交通アクセス

脚注

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  1. ^ a b 永源寺 (えいげんじ)やまなし観光推進機構「富士の国やまなし観光ネット」
  2. ^ a b c d 山梨県高等学校教育研究会地歴科・公民科部会 編『山梨県の歴史散歩(歴史散歩19)』山川出版社、2007年、157-158p
  3. ^ 木造聖観音立像文化庁

参考文献

  • 山梨県高等学校教育研究会地歴科・公民科部会 編『山梨県の歴史散歩(歴史散歩19)』山川出版社、2007年


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