永源寺 (坂戸市仲町)とは? わかりやすく解説

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永源寺 (坂戸市仲町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/05 04:43 UTC 版)

永源寺
所在地 埼玉県坂戸市仲町12-69
位置 北緯35度57分44.4秒 東経139度23分51.0秒 / 北緯35.962333度 東経139.397500度 / 35.962333; 139.397500座標: 北緯35度57分44.4秒 東経139度23分51.0秒 / 北緯35.962333度 東経139.397500度 / 35.962333; 139.397500
山号 長渓山
宗派 曹洞宗
本尊 釈迦如来
創建年 文禄元年(1592年
開山 大鐘良賀
開基 島田利秀(実質的には子の島田重次
公式サイト 曹洞宗 長溪山 永源寺(埼玉県坂戸市)
法人番号 8030005010744
永源寺
永源寺 (埼玉県)
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永源寺(えいげんじ)は、埼玉県坂戸市にある曹洞宗寺院

歴史

1592年文禄元年)、島田利秀の開基である。ただ実際の創建者は子の島田重次である。重次は主君の徳川家康より坂戸領に封ぜられた。重次は既に隠居の身だった父の利秀を坂戸に呼び寄せて開基に据え、越生龍穏寺から大鐘良賀を開山として招聘し、寺を創建した[1]

当寺歴代住職で著名な人物に鉄心御州がいる。鉄心御州は、1660年万治3年)に曹洞宗大本山永平寺貫首に就任、後西天皇より「大覚仏海禅師」の勅賜禅師号を賜っている[1][2]

万治高尾伝説

当寺には「万治高尾」に纏わる伝説がある。万治高尾とは吉原遊女二代目高尾太夫(以降、「万治高尾」「高尾」とする)のことである[3][2]

万治高尾は徳川家綱小姓を務めた島田権三郎利直(以降、「権三郎」とする)と恋仲であったが、そこに仙台藩藩主伊達綱宗横恋慕し介入してきた。そして綱宗が高尾の奪取を強行しようとしたため、権三郎は高尾を島田氏の所領の坂戸に匿った。高尾は坂戸で病に倒れ、1660年(万治3年)に亡くなった。当寺にある「月桂円心大姉」の墓が高尾の墓といわれている[3][2]

高尾の死後、権三郎は出家して「道哲」と名乗り、浅草西方寺(現在は東京都豊島区に移転)で高尾の菩提を弔う日々を送ったという[3]

行事

  • 1月10日 - だるま市[4]
  • 5月5日 - 釈尊降誕祭[5]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b 縁起永源寺
  2. ^ a b c 大図口承 著『永源寺≪坂戸≫(さきたま文庫12)』さきたま出版会、1989年、4-32p
  3. ^ a b c 萬治高尾の物語永源寺
  4. ^ 永源寺のだるま市”. 坂戸市 (2004年11月28日). 2025年5月5日閲覧。
  5. ^ 釈尊降誕祭(坂戸のお釈迦さま)”. 坂戸市 (2025年4月17日). 2025年5月5日閲覧。

参考文献

  • 大図口承 著『永源寺≪坂戸≫(さきたま文庫12)』さきたま出版会、1989年

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