水運業での成功
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/07 18:34 UTC 版)
1925年(民国14年)より、盧作孚は水運の開業を目指して準備を開始する。1926年(民国15年)6月10日、民生輪船公司(民生実業股份有限公司)を合川で創業し、盧は総経理に就任した。合川・重慶間の水運を担って成果をあげている。1929年(民国18年)、川軍の有力指導者である劉湘の招聘を受けて、川江航務管理処処長を1年間つとめた。 その後も、盧作孚の水運業は軌道に乗って順調に事業を拡大していく。1929年(民国18年)から1930年(民国19年)にかけて、宜昌、漢口、南京、上海にまで、水運を拡大した。また、その運営自体も、外国の水運業に良く伍するものであった。さらに水運事業だけでなく、民生造船廠、天府煤鉱公司、扶植渝鑫錬鋼廠などの関連会社を創設し、一大企業グループを形成している。 1935年(民国24年)からは、四川省政府主席に就いた劉湘の招聘により、省建設庁長を2年間つとめた。盧作孚が勃興した水運業を始めとする各種産業は、国民政府が内陸部へ撤退した後の抗戦維持に大きく貢献している。国民政府中央でも、1937年(民国26年)に交通部次長、1938年(民国27年)に全国糧食管理局局長をつとめた。
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