民間機の販売不振と冷戦終結
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 06:15 UTC 版)
「マクドネル・ダグラス」の記事における「民間機の販売不振と冷戦終結」の解説
MD-11は1986年の発売以降200機が販売されたが、当初計画された性能を実現することができなかったことや、ボーイングやエアバスとの販売競争の激化のあおりを受けて販売予測を大幅に下回ったために経営を圧迫するようになっていった。また、それに合わせるようにMD-90シリーズの販売数も、同じくボーイング737やエアバスA320シリーズとの競争に押され、1990年代に入り下降線を辿るようになっていった。 また、1990年代に入って東西冷戦が終結したことにより、湾岸戦争などの一時的な特需があったものの、民間機と並ぶ企業の屋台骨であった軍需の発注が減り続けた。そしてF-15の後継機開発計画である先進戦術戦闘機計画において、書類選考で落選してしまう。 窮地に陥ったマクドネル・ダグラスは、中国で上海航空機製造と提携して海外初の製造工場をつくったが、それが失敗して凋落を決定付けた。
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