死後の政争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/17 15:21 UTC 版)
後には絶世の美女として知られた皇后のテオファノ、5歳のバシレイオス(後の皇帝バシレイオス2世)と3歳のコンスタンティノス(後の皇帝コンスタンティノス8世)の二人の皇子、皇女アンナ(後のキエフ大公ウラジーミル1世妃)が残された。ロマノスを支えてきた宦官のブリンガスと将軍のニケフォロスは、どちらが幼い皇帝の摂政として実権を握るかをめぐって争ったが、結局軍と首都市民の支持を受けたニケフォロスがブリンガス派との首都市街戦に勝利し、テオファノ皇后と結婚して帝位に就いた。 なお、ヨハネス・スキュリツェスの年代記によると、次男コンスタンティノス付きの寝室管理官にロマヌスの母方叔父で宦官のバシレイオス・レカペヌス(ソノス)が就任しており、ヨセフ・ブリンガスと険悪であった。
※この「死後の政争」の解説は、「ロマノス2世」の解説の一部です。
「死後の政争」を含む「ロマノス2世」の記事については、「ロマノス2世」の概要を参照ください。
- 死後の政争のページへのリンク