死後の影響・評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/20 23:44 UTC 版)
「ロベール・エティエンヌ」の記事における「死後の影響・評価」の解説
1559年にエティエンヌは死去するが、そのギリシア語訳聖書は多くの神学者や聖書翻訳者に影響を与えた。カルヴァンの後継者であるテオドール・ド・ベーズがエティエンヌのギリシア語訳聖書の第4版とほぼ同じのギリシア語聖書を、1565年から1604年にかけて、9つの版を出版した。ベーズのギリシア語聖書は1611年のイングランド王ジェームズ1世の欽定訳聖書 (King James Version) の底本になった。 1624年にネーデルラントのライデンの印刷業者エルセフィル兄弟が小型のギリシア語聖書を出版した。これは、ベーズのギリシア語聖書を基本にしている。1633年には、「すべての人に受け入れられた本文 (Textus Receptus)」と書かれた。エティエンヌ、ベーズ、エルセフィル兄弟たちのギリシア語聖書が「唯一かつ真正の本文」になり、公認定本(テクステトゥス・レセプトゥス)という名称が生じた。以降1881年の欽定訳聖書の改訂版発行まで、プロテスタントの主要なヨーロッパ語訳は公認定本を底本にしている。
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