モンゴル帝国内における位置づけ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 07:25 UTC 版)
「オゴデイ・ウルス」の記事における「モンゴル帝国内における位置づけ」の解説
1206年にチンギス・カンによって創設された「大モンゴル国/イェケ・モンゴル・ウルス(Yeke mongγol ulus)」は、チンギス・カンの一族によって支配される「一族ウルス」やチンギス・カンによって再編成された千人隊といった複数の遊牧集団がカアンの統令の下結集する巨大な政治的連合体であった。チンギス・カンが自らの諸子・諸弟に領民・領地を分け与えて成立させた一族ウルスはイェケ・モンゴル・ウルスの縮小版とも言うべき存在であり、それ自体が複数の下位ウルスを有する遊牧集団の連合体であった。そしてオゴデイ・ウルスもまた、このようなチンギス・カンの一族が治めるウルスの一つであった。 この「一族ウルス」は強固な内的結束を有する訳ではなく、あくまで「一人の当主を共通の盟主とする同族政事グループ」とでも言うべき存在であった。それ故、モンゴル帝国内の政争・内乱に際してあるウルスの中でそれぞれ違う派閥に与する集団が複数存在することも屡々あった。後述するようにオゴデイ・ウルスはとりわけその傾向が強く、グユク死後の政争ではシレムンを推すグユク・ウルスとモンケ派についたコデン・ウルスが対立する、といった事例が見られた。このようなオゴデイ・ウルス内部の対立は「カイドゥ・ウルス」の解体まで存続してゆく。
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