死後の余波
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/23 16:29 UTC 版)
「アンジェロ・ブルーノ」の記事における「死後の余波」の解説
ブルーノ殺害から3週間後、ニューヨークで、車のトランクに詰め込まれていた遺体袋からカポニグロが義理の兄弟と共に発見された。彼らは拷問の末に刃物で刺された上に射殺されており、口と肛門には約300ドルの紙幣が押し込まれていた。彼が殺害されたのは、彼がコミッションから殺人許可を得ずにブルーノを殺害した事が原因であり、その罰として、コミッションが彼の殺害を命じたのだとされている。一部の情報によれば、カポニグロらはジェノヴェーゼ一家のボスフランク・ティエリの教唆によりブルーノ暗殺を実行したが、ティエリに見捨てられて抹殺されたのだという。 その後、ファミリーはフィリップ・"チキンマン"・テスタ(Philip Testa)が率いる事になったが、一年後の1981年3月15日に副ボスのピーター・カセッラ(Peter Casella)により、自宅に仕掛けられた釘爆弾により暗殺された。そして、カセッラはファミリーのボスになろうとしたが、野心家で頭の切れるニコデモ・スカルフォがコミッションを味方に付け、カセッラを追放してファミリーの実権を握った。なお、ブルーノの殺害を手引きしたスタンファは1981年に懲役8年の判決を受けた。 フィラデルフィア・ファミリーは、ブルーノの死から始まった内部抗争、そして裏切り者が出始め、注目を浴びていたスカルフォが起訴された事などにより打撃を受けた。その後、ブルーノの暗殺を手引きしたジョン・スタンファが出所後の1991年にボスの座に着き、ジョセフ・メルリーノ(Joseph Merlino)と熾烈な内部抗争を繰り広げて多数の犠牲者を出し、1994年に再び逮捕されたことにより、活動はほとんど衰えたという。
※この「死後の余波」の解説は、「アンジェロ・ブルーノ」の解説の一部です。
「死後の余波」を含む「アンジェロ・ブルーノ」の記事については、「アンジェロ・ブルーノ」の概要を参照ください。
- 死後の余波のページへのリンク