歴代「長子」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/14 14:41 UTC 版)
この一覧では称号のみを帯びていたものは数えず、クラクフを実際に統治していた者だけを数えている。 1138年:ポーランド全域の統治者ボレスワフ3世、国家を息子に分割相続させた 1138年 - 1146年:シロンスク公ヴワディスワフ2世、弟たちに廃位され亡命 1146年 - 1173年:マゾフシェ公ボレスワフ4世(おそらく1146年以前からクラクフの支配権を掌握) 1173年 - 1177年:ヴィエルコポルスカ公ミェシュコ3世、廃位 1177年 - (1190年/1190年 -) 1194年:サンドミェシュ公カジミェシュ2世1190年:ミェシュコ3世(2度目)、短期間復位した 1194年 - 1199年:サンドミェシュ公レシェク1世 1199年 - 1202年:ミェシュコ3世(3度目) 1201年:レシェク1世(2度目)、廃位 1202年:マゾフシェ公コンラト1世、廃位 1202年 - 1206年:ヴィエルコポルスカ公ヴワディスワフ3世、廃位1202年 - レシェク1世(3度目)、ヴワディスワフ3世とクラクフをめぐり争う 1206年 - 1227年:レシェク1世(4度目)1210年 - 1211年:高地シロンスク公ミェシュコ1世 1227年 - 1229年:ヴワディスワフ3世(2度目)、廃位 1227年 - 1228年:コンラト1世(2度目)、ヴワディスワフ3世と競合 1228年 - 1238年:低地シロンスク公ヘンリク1世1229年 - 1232年:コンラト1世(3度目) 1238年 - 1241年:低地シロンスク公ヘンリク2世 1241年:低地シロンスク公ボレスワフ2世、短期間で排除されたモンゴル(コンラトが4度目に公となるが、クラクフ支配はほぼ不可能) 1243年 - 1279年:サンドミェシュ公ボレスワフ5世 1279年 - 1288年:サンドミェシュ公レシェク2世 1288年 - 1290年:ヴロツワフ(低地シロンスク)公ヘンリク4世 1290年 - 1291年:ヴィエルコポルスカ公プシェミスウ2世、1295年に戴冠1291年 - 1305年:ボヘミア王ヴァーツラフ2世 1305年:ボヘミア王ヴァーツラフ3世、廃位 1305年 - クヤヴィ公ヴワディスワフ4世、1320年に戴冠
※この「歴代「長子」」の解説は、「長子領」の解説の一部です。
「歴代「長子」」を含む「長子領」の記事については、「長子領」の概要を参照ください。
- 歴代「長子」のページへのリンク