歳時記と二十世紀を見渡しぬ
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出 典 |
おおいとⅡ |
前 書 |
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評 言 |
無季の作品です。歳時記というもの、現代の俳人の常識からすると、四季別に分けた言葉の集成です。現代俳句協会の『現代俳句歳時記』には無季の一巻があります。これについては、賛否の分かれるところです。歳時記の「歳事」が年中のできごとの意味だとすると、四季以外の言葉が集められていてもおかしくはないことになります。二十世紀というと、初頭の明治三十五年には正岡子規が没しています。その後の新傾向俳句、新興俳句、前衛俳句などの革新運動の中で、俳句と季語の問題は議論され続けてきました。無季の俳句にも多くの優れた作品が書かれてきました。歳時記はそういう歴史を鳥瞰する一つのよすがにもなるものです。この作品、従来の写生の方法によるものとはかなり違った方法で書かれていて、強い批評性の感じられる句です。 この句で季語にかわって読者との共感を支えているのは「見渡しぬ」でしょう。仁徳天皇の国見以来、日本人は見渡すことを愛してきました。詩歌に詠まれた代表的な例をあげておきます。「見渡せば花ももみぢもなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮 藤原定家」 |
評 者 |
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備 考 |
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