武装闘争のリーダーとして
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/08 01:49 UTC 版)
「ヌル・ミスアリ」の記事における「武装闘争のリーダーとして」の解説
1960年代にフィリピン南部へキリスト教徒の入植が進むと、元々居住していたイスラム教徒との軋轢が生まれ、イスラム教徒による独立運動が活発になった。当時、ミスアリはフィリピン大学で講師を務めていたが、イスラム独立運動に参画。マレーシアでの軍事訓練を経て帰国後、1970年にモロ民族解放戦線の議長に就任し、フィリピン政府との交渉や武装闘争を指揮することとなった。 1976年には、政府との停戦に一旦は合意(トリポリ協定)するものの、住民投票をめぐり、和平を決裂。一方で、組織内部の引き締めに失敗し、路線対立が激化、1984年には、モロ・イスラム解放戦線との分裂などを生じさせた。
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