武蔵志村氏
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武蔵国の名族、坂東八平氏秩父氏流豊島氏の一族で、武蔵国豊島郡志村郷(現・東京都板橋区志村)を本拠としていた志村氏がある。古くは「しのむら」と称された。板橋区の志村城は豊島氏一族の志村氏が築いた城であると言われており、同地に志村熊野神社が長久3年(1042年)に志村将監が紀州から勧請された。 豊島氏は豊島常家の弟、豊島家村が四村六郎と名乗った。また、豊島氏庶流とされる観応元年(1350年)の志村親義着到状が現存している。 吾妻鏡において、千葉氏配下の豊島氏庶流志村氏が複数確認できる。 この志村氏は土着豪族の為、北条氏の後の後北条氏の家臣に多く見られる。天文 (元号)10年(1541年)11月2日、北条氏康から武蔵国川越城(現・埼玉県川越市)での戦功によって志村弥四郎に感状が与えられた記録がある。 異説としては、鎌倉時代の志村氏は豊島氏よりも武蔵七党の丹党との関係が強いと考えられており、後の時代の豊島氏流志村氏とは異なるという説がある。
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