武田政義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/20 09:24 UTC 版)
武田 政義(たけだ まさよし)は、鎌倉時代後期から南北朝時代の武将。
- ^ 石和流武田氏は武田信光の子信政の子政綱を祖とし信家(宗信(信家))、貞信を経て政義に至る。なお、信政の子で、政綱の兄信時を祖とする信時流武田氏は安芸国守護を継承し、南北朝期の信武期において入甲し甲斐守護となる(後述)。
- ^ 「武田福寿丸申状」[八坂神社記録]『山梨県史』資料編6中世3(記録・奥書)下所載。
- ^ 鎌倉時代の甲斐守護について政義以降は室町・戦国期に至り武田氏が継承しているが、佐藤進一は政義以前の鎌倉期については微証がないものとしている(佐藤『増訂鎌倉幕府守護制度の研究』1971)。鎌倉期の甲斐守護については初期に足利義兼や加藤氏の在職が考えられており(五味文彦「甲斐の守護」『山梨県史』通史編2中世)、網野善彦は鎌倉中期に武田氏や小笠原氏が在職していた可能性を指摘している網野「鎌倉時代の甲斐国守護をめぐって」『武田氏研究』8号、1991。
- ^ 「光明寺残篇」『山資』6下
- ^ 『太平記』天正本では「義政」としている。
- ^ 「建武記」『山資』6下所載)
- ^ 「諏訪大明神画詞」『山資』6下所載
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