武家官位としての京職
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 23:28 UTC 版)
室町時代には、三管領のひとつ細川氏宗家が右京大夫の職を代々世襲したため、細川氏宗家は京兆家とよばれた。また左京大夫は一色氏などの四職の家門の武家官位であった。しかし戦国時代になり、朝廷や公家が経済的に困窮し、官位が売られるようになると、左京大夫は地方の戦国大名にとって箔付けのために最も人気のある官位となり、大内氏・武田氏・後北条氏といった有力大名の他、大崎氏・岩城氏・大宝寺氏といった陸奥・出羽の国人領主まで左京大夫となったため、同時に何人もの左京大夫が出現するような状態であったという(右京大夫は細川氏が京都周辺の実効支配を行っていたため、細川宗家の当主のみが保持した)。 江戸時代には、二本松藩主の丹羽氏の歴代藩主の多く(丹羽長富、丹羽光重など)が左京大夫を、久保田(秋田)藩主佐竹氏の歴代藩主の多く(佐竹義宣、佐竹義敦など)が右京大夫を称した。
※この「武家官位としての京職」の解説は、「京職」の解説の一部です。
「武家官位としての京職」を含む「京職」の記事については、「京職」の概要を参照ください。
- 武家官位としての京職のページへのリンク