御室撮影所
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御室撮影所(おむろさつえいじょ)は、かつて存在した日本の映画スタジオである[1][2]。1925年(大正14年)6月に牧野省三が設立したマキノ・プロダクションの生産拠点として開所、以来、同社の解散後も、大衆文芸映画社、正映マキノキネマ、宝塚キネマ興行、エトナ映画社、極東映画がそれぞれの撮影所として使用した[1]。マキノ・プロダクション解散後の時期によって、正映マキノ撮影所(しょうえいマキノさつえいじょ)、宝塚キネマ撮影所(たからづかキネマさつえいじょ)、エトナ映画京都撮影所(エトナえいがきょうとさつえいじょ)と正式名称を変更している[1]。略称は御室(おむろ)、あるいはその所在地から天授ヶ丘(てんじゅがおか)[1][2]。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 御室撮影所、立命館大学、2013年6月19日閲覧。
- ^ a b c d e f マキノ映画活動史、立命館大学、2013年6月19日閲覧。
- ^ 双ヶ丘撮影所、立命館大学、2013年6月19日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n エトナ映画の軌跡[リンク切れ]、立命館大学、2013年6月19日閲覧。
- ^ a b File:Makino Omuro Feb 1931.jpg、マキノ・プロダクション、2013年6月19日閲覧。
- ^ a b 等持院撮影所、立命館大学、2013年6月19日閲覧。
- ^ 1925年 公開作品一覧 517作品、日本映画データベース、2013年6月19日閲覧。
- ^ 白虎隊、日本映画データベース、2013年6月19日閲覧。
- ^ 或る日の仇討、日本映画データベース、2013年6月19日閲覧。
- ^ a b 1931年 公開作品一覧 591作品、日本映画データベース、2013年6月19日閲覧。
- ^ 日の丸若衆、日本映画データベース、2013年6月19日閲覧。
- ^ 二番手赤穂浪士、日活データベース、2013年6月19日閲覧。
- ^ 敵討愛慾行、日本映画データベース、2013年6月19日閲覧。
- ^ 1934年 公開作品一覧 448作品、日本映画データベース、2013年6月19日閲覧。
- ^ 益満休之助 比叡の巻、日本映画データベース、2013年6月20日閲覧。
- ^ 益満休之助 江戸の巻、日本映画データベース、2013年6月20日閲覧。
- ^ 益満休之助 完結篇、日本映画情報システム、文化庁、2013年6月20日閲覧。
- 1 御室撮影所とは
- 2 御室撮影所の概要
- 3 名称の変遷
- 4 参考文献
- 御室撮影所のページへのリンク