次男・直吉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:26 UTC 版)
1925年(大正14年)5月26日に奈良で誕生。奈良の小学校から5年生に進級する際、学習院に編入する。一人息子の将来に期待する直哉は「今大学なんか出て一体何になるかね」と大学進学をさせず高等科も中退させる。商人や月給取を嫌っていた直哉は、直吉に出版社をさせることを考え、岩波書店の小林勇の口利きで岩波に入社させ出版人の修行をさせる。しかし、小林から出版社経営の難しさを理由に反対されてあきらめている。直吉は日劇ダンシングチームのメンバーで台湾銀行初代ロンドン支店長の娘、佐藤福子と恋愛結婚。息子3人をもうける。岩波では、父親の志賀直哉全集編纂や日本古典文学大系の編集を担当、常務取締役まで勤め上げた。2019年5月21日、心不全で死去。
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